マグダラのマリア

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珍しく、イエス・キリスト以外の人物を主人公にした映画を観て、キリスト教の本質とは何だろうと

考えさせられた。

 

映画の中では、イエスの教えを1番理解していたのは

マグダラのマリアで、他の弟子達は自分の願望を投影してるだけにしか見えなかった。

ユダにしても、裏切りの理由が、危機になれば救世主としてのパワーを現してくれるはず、だったとは。

ペテロの裏切りも、人間の弱さを知っているから、よく理解できる。

 

しかし、彼等は男性だ。

 

女性である、マグダラのマリアは社会的に弱い立場のはずなのに、発言する機会もないはずなのに

強く、イエスを裏切る事はなかった。女性として生まれた哀しみを振り切って、イエスに従った。

女性である自分の生きる意味に見切りをつけたのか。ただ単純に、イエスに惹かれただけなのか、

2000年以上も前に生きていた1人の女性。

マグダラのマリア

 

映画では、イエスの死後、最初に復活を見たマリアは伝道者として旅立つが、そこで終わっている。

その後のマリアの人生はどうなったのか、想像するしかないけれど、女性=娼婦としか考えていない男性達を、悔い改めさせる存在であって欲しいと強く思う。